【免責事項】 本コラムの内容は、執筆時点の法令・ガイドライン等に基づき、一般的な情報提供を目的として作成されたものです。特定の事案に対する法的助言を構成するものではありません。 法律や実務上の運用は随時変更される可能性があり、内容の正確性や完全性を保証するものではありません。本コラムの情報に基づくいかなる行動についても、当事務所は一切の責任を負いかねます。具体的な判断にあたっては、必ず個別の事実関係に基づき、弁護士等の専門家にご相談ください。
目次
1. はじめに
顧客リスト、取引先担当者の連絡先、取引条件、価格表、見積情報、営業資料、原価情報、販売戦略などは、企業にとって重要な情報資産です。日常業務の中で有効に活用するためには一定の範囲の従業員にアクセス権限を与える必要がある反面、権限を与えられた従業員が誤って、あるいは故意に、情報を社外に持ち出すリスクは避けられません。
近時、従業員による情報持ち出しをめぐる事案は相次いでいます。
警察庁の発表によると、企業の営業秘密が不正に持ち出される事件が摘発された数は2025年に過去最多の38件にのぼり、転職・独立時に営業秘密に関する情報を持ち出す事犯が多くみられるとされています(2026年3月 警察庁 「令和7年における生活経済事犯の検挙状況等について」18頁)。
また、2026年3月には、ソフトバンク元社員による5G関連情報の持ち出しをめぐり、同社が元社員と転職先の楽天モバイルに計10億円の損害賠償等を求めた訴訟において、東京地裁が、元社員に約250万円の支払を命じる一方、楽天モバイルによる不正競争は認めず、同社に対する請求を棄却する判決を言い渡したと報じられています。
このように情報持ち出しは近年頻発する類型の事案となっており、発覚が判明した際に適切な対応をとることは企業にとって重要です。
本コラムでは、主に顧客情報・営業情報が不正競争防止法上の「営業秘密」に当たる場合を中心に、発覚時の初動対応、会社が従業員に対して取り得る法的対応、平時から整備しておくべき管理体制を整理します。
2. 発覚時にまず行うべき初動対応
従業員による情報持ち出しが疑われる場合、会社としては、まず事実関係の調査と証拠の保全を行うことが重要です。具体的には、貸与パソコンやサーバーへのアクセスログ、メールの送信履歴、USBメモリ等の外部記録媒体の接続履歴、外部クラウドへのアップロード履歴などの確認・保全が考えられます。この際、本人が使用していた端末やアカウントをむやみに操作すると、データが改変・消失し、後の立証に支障を来すおそれがあるため、保全の方法には注意が必要です。
そのうえで、関係者からのヒアリングなどを通じて、持ち出された情報の範囲、持ち出しの経緯・目的、第三者への開示・利用の有無を確認していきます。本人へのヒアリングは、証拠隠滅を防ぐ観点から、客観的な証拠をある程度確保した後に行うことが望ましいといえます。
並行して、被害の拡大を防ぐため、本人に対する複製データの返還・削除の要求や警告書の送付を検討し、事案によっては転職先への通知や警察への相談も選択肢となります。
これらの初動対応と併せて、就業規則、情報管理規程、秘密保持誓約書などの規定内容と、持ち出された情報の管理状況を整理し、後述する懲戒処分や差止め・損害賠償請求といった法的対応の方針を検討することになります。
3. 従業員が負う秘密保持義務・競業避止義務
従業員は、労働契約に付随して、所属する会社の秘密情報を保持する義務を負うものと考えられます。
企業は、事業を行う過程で、技術情報、顧客情報、価格情報、製品情報、営業資料など、さまざまな情報を収集・利用しています。その中には、会社の競争力を維持するため、社外への持ち出しや第三者への開示を制限すべき情報があります。
また、従業員は、労働契約の存続中、使用者の利益に著しく反する競業行為を差し控える義務、すなわち競業避止義務も負うとされています。
したがって、在職中の従業員が、会社の顧客情報や営業秘密を持ち出し、自らの利益のために利用したり、競合会社に提供したりする行為は、秘密保持義務違反、競業避止義務違反、就業規則違反として問題となり得ます。
もっとも、秘密保持義務や競業避止義務自体は労働契約に付随する義務であるものの、就業規則に懲戒事由として規定されていなければ、懲戒処分の対象とすることはできません。
そのため、従業員に対する処分を検討する場合には、まず、持ち出された情報の性質だけでなく、就業規則、情報管理規程、秘密保持誓約書、退職時誓約書などの規定内容を確認することが重要です。
4. 「営業秘密」とは
会社が取り得る法的手段は、従業員が持ち出した情報が不正競争防止法上の「営業秘密」に当たるかどうかによって変わってきます。
営業秘密に該当する場合、会社は、不正競争防止法に基づき、情報の使用・開示の差止め、複製データや資料の廃棄、損害賠償請求などを検討することになります。
他方で、営業秘密に当たらない場合には、それが会社にとって重要な情報であっても、同法に基づく差止め等を求めることは難しくなります。その場合でも、雇用契約、就業規則、秘密保持誓約書、不法行為などに基づく対応は考えられますが、営業秘密に該当する場合とは法的手段や立証の見通しが異なります。
不正競争防止法上の「営業秘密」として保護されるためには、一般に次の3要件を満たす必要があるとされています。
秘密として管理されていること
事業活動に有用な技術上または営業上の情報であること
公然と知られていないこと
不競法上の営業秘密とは、これらの「秘密管理性」「有用性」「非公知性」の3要件を満たす情報を指すものとされています。不正な持ち出し等の被害にあった場合に同法上の民事・刑事上の措置をとるためには、対象情報がアクセス権限を限定されたフォルダに保存されている、ファイル名やデータ上に取扱注意の表示が付されているなど、その情報が営業秘密として管理されていることが必要となります。
したがって、会社が従業員の情報持ち出しに対応するには、まず、持ち出された情報が、単なる社内情報なのか、広い意味での企業秘密なのか、不正競争防止法上の営業秘密に当たるのかを整理する必要があります。
5. 懲戒処分の検討
在職中の従業員による顧客情報・営業秘密の持ち出しが発覚した場合、会社は懲戒処分を検討することがあります。
もっとも、懲戒処分は、持ち出しの事実だけで当然に有効になるわけではありません。労働契約法15条は、懲戒処分について、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当と認められない場合には無効とする旨を定めています。
そこで、会社としては、次の事項について検討することが考えられます。
① 就業規則上の懲戒事由に当たるか
就業規則上、情報持ち出し、秘密保持義務違反、競業行為、会社の信用を害する行為などが懲戒事由として定められているかを確認します。
② 持ち出された情報の重要性
持ち出された情報の内容が、そもそも企業秘密に該当するか、どの程度重要な情報かが考慮されます。たとえば、一般的な社内連絡先と、取引先別の価格表、原価情報、未公表の営業戦略、重要顧客リスト、製品開発情報とでは、会社に与える影響が異なります。
③ 持ち出し行為の態様
漏えい行為の態様、すなわち、自己の利益を得るために意図的に漏えいしたのか、誤って漏えいしたのかといった事情が、懲戒処分の程度を判断する要素として考慮されます。
④ 漏えい先
競合会社に開示した場合、転職先で利用した場合、自ら設立した会社の営業活動に使った場合には、会社の営業活動や顧客関係に直接影響を与える可能性があるため、企業秘密をライバル企業に漏えいしたのか、不特定多数に拡散したのかといった漏えい先の事情が考慮要素となります。
⑤ 損害・信用毀損の有無
持ち出しによって会社に現実の損害や信用毀損が生じたか、また、それらが生じるおそれがどの程度あるかも、処分の程度を判断する際の考慮要素となります。
特に、懲戒解雇などの重い処分を検討する場合には、上記の各要素に加えて、過去の処分例との均衡が取れているか、本人に弁明の機会を付与したかといった点にも留意する必要があります。
競合会社への漏えいにより会社に具体的損害を与える可能性が高い場合には、懲戒解雇も含めた重大な処分を検討すべき事案になり得る一方、持ち出された情報の重要性が限定的で、第三者提供や利用が認められず、本人が速やかに削除・返還に応じているような場合には、処分の重さについて慎重に検討する必要があります。
6. 差止め・返還・削除・損害賠償
持ち出された情報が不正競争防止法上の営業秘密に当たる場合、会社は、同法に基づき、営業秘密の使用・開示の差止め、電子データや複製物の廃棄、損害賠償請求などを検討することになります。
また、転職先や競合会社に対して責任追及を行う場合には、その会社が営業秘密の不正取得・使用・開示にどのように関与したのかを整理する必要があります。
なお、損害賠償請求を行う場合には、持ち出し行為と損害との間の相当因果関係を立証する必要があります。競業行為によって顧客を奪われたと考えられる場合でも、売上減少の全額が当然に賠償の対象と認められるとは限らず、損害額の立証には相応の準備が必要です。
7. 平時から整備すべきこと
従業員による顧客情報・営業秘密の持ち出しに対応するためには、就業規則を含む関連文書を平時からの整備することが重要となります。具体的には、関連文書の中で、従業員が負う義務の内容や違反した場合の処分・請求対象を明確化することを要します。
情報管理体制の整備にはIT部門や管理部門の対応も必要ですが、就業規則、情報管理規程、秘密保持誓約書、退職時誓約書など、平時から各種関連文書の点検を行っておくことが必要となります。
例えば、就業規則や情報管理規程においては、次のような事項を明確にしておくことが考えられます。
・秘密情報の範囲・定義
・目的外利用および第三者への開示の禁止
・私用のメール・外部クラウド・USBメモリ等への保存の禁止
・退職時の資料・データの返還・削除義務
・違反した場合の懲戒事由
特に、懲戒処分を検討する場合には、就業規則上の根拠が重要です。秘密保持義務や競業避止義務が労働契約に付随する義務として認められる場合であっても、就業規則上、これらの義務違反が懲戒事由として定められていなければ、懲戒処分の有効性が問題となります。
また、入社時、重要情報にアクセスする部署への配属時または退職時には、秘密保持誓約書や退職時誓約書を取得することが考えられます。その際には次の事項を確認することが考えられます。
・会社資料・貸与端末・記録媒体の返還
・私用端末・外部クラウド等に保存された複製データの削除
・退職後も秘密保持義務を負うことの確認
・転職先・競業先での使用禁止
誓約書を作成する際には、秘密保持義務、資料・データの返還義務、複製データの削除義務、退職後の不使用義務、競業避止義務を区別して定めることが重要です。
近時の裁判例でも、雇用契約存続中に知り得た顧客情報等について、退職後に開示・漏えいせず秘密を保つ義務を負う旨の合意をすることは有効とされる一方、退職時にすべて消去し、外部に漏えい・持ち出ししない義務については、そのような合意が成立していないとして認められなかった例があります(東京高判令和7年12月25日 金商1743号)。また、同判決は、秘密保持義務に加えて競業避止義務を負わせることについては必要ないとして当該情報を使用して従業員が退職後に会社と競業しないという内容の債務については公序良俗に反し無効と判断しています。
そのため、従業員との合意を形成する際には、どのような行為を禁止するのかを具体的に念頭に置いてそれを明確に書面上に記載することが必要となります。
8. まとめ
従業員による顧客情報・営業秘密の持ち出しが発覚した場合、会社は、証拠の保全と事実調査を進めつつ、持ち出された情報が不正競争防止法上の営業秘密に当たるかをまず確認する必要があります。営業秘密に当たる場合には、同法に基づく差止め、データ廃棄、損害賠償請求などを検討でき、在職中の従業員については、就業規則等に基づく懲戒処分も検討の対象となります。
もっとも、懲戒処分が有効と認められるためには、懲戒事由該当性や処分の相当性を丁寧に確認する必要があり、損害賠償請求においても、持ち出し行為と損害との因果関係の立証が課題となります。発覚時の対応は、法的な見通しを踏まえて進めることが重要です。
したがって、会社としては、発覚後の対応だけでなく、平時から、営業秘密の管理体制、アクセス権限の設定、就業規則、情報管理規程、秘密保持誓約書、退職時の手続を整備しておくことが重要です。
