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知財・ノウハウ・データの「ただ取り」を防ぐ – 知財取引指針と契約書ひな形から見る取引実務のポイント
【免責事項】 本コラムの内容は、執筆時点の法令・ガイドライン等に基づき、一般的な情報提供を目的として作成されたものです。特定の事案に対する法的助言を構成するものではありません。 法律や実務上の運用は随時変更される可能性があり、内容の正確性や完全性を保証するものではありません。本コラムの情報に基づくいかなる行動についても、当事務所は一切の責任を負いかねます。具体的な判断にあたっては、必ず個別の事実関係に基づき、弁護士等の専門家にご相談ください。
はじめに
技術、ノウハウ、設計図面、加工データ、ソフトウェア、製造方法、試作品、研究開発の過程で得た知見、事業活動の中で蓄積されたデータは、中小企業等の競争力を支える重要な経営資源です。
特許権や著作権のように明確な権利として把握されるものだけではなく、現場での試行錯誤、長年の取引経験、製造・開発過程で蓄積されたノウハウやデータも、企業にとって極めて重要な成長の源泉です。特に、デジタル化、IoT、AI等の進展により、データの経済的価値は一層高まっています。
一方で、取引の現場では、取引上の立場の弱い中小企業等から、知的財産権・ノウハウ・データを無償または低廉な価格で提供させる行為が問題となっています。たとえば、取引先から「図面も提出してほしい」「加工データも共有してほしい」「ノウハウも提供してほしい」と求められる場面があります。中には、完成品や成果物の代金には含まれていないにもかかわらず、設計図面、加工データ、ノウハウ、著作権、共同開発の成果、中間成果物などの提供・譲渡・利用許諾を無償または十分な対価なく求められるケースもあります。
このような行為は、受注側企業の貴重な経営資源を損なうおそれがあるだけではなく、取引上強い立場にある企業が、弱い立場にある企業から知財・ノウハウ・データを一方的に吸い上げる構造が放置されれば、事業者間の格差を固定化し、新たな技術やサービスを生み出す力を失わせることにもつながり得ます。
こうした問題意識を踏まえ、公正取引委員会・中小企業庁・特許庁は、2026年6月24日、「知的財産権・ノウハウ・データの適切な取引のための優越的地位の濫用等に関する指針」(以下「知財取引指針」といいます。)と、その附属資料である「契約書ひな形」を公表しました。指針案・契約書ひな形案については、2026年3月30日から同年4月28日までに募集された意見を踏まえて原案を一部変更した上で、正式版が公表されるに至っています。
知財取引指針は、知的財産権に限らず、権利化されていないノウハウやデータを含む取引全般を対象としています。また、独占禁止法上の優越的地位の濫用等の考え方だけでなく、適切な取引に向けた基本的な考え方、実践例、対価設定の選択肢、相談窓口、契約書ひな形も示しています。
本コラムでは、特に、図面・加工データ・ノウハウ・中間成果物などの「ただ取り」問題に焦点を当て、中小企業等が実務上確認すべきポイントを整理します。
1. 知財取引指針の位置づけ
知財取引指針は、発注者と受注者との取引過程における知的財産権・ノウハウ・データの取扱いについて、独占禁止法上の優越的地位の濫用規制を中心に、実務上の考え方を整理したものです。
同指針は、特許権や著作権のような明確な権利に限らず、権利化されていないノウハウやデータの取引全般を対象としています。また、特定の業種に限定せず、多数の問題となり得る事例や実践例、多様な対価設定方法などを示しています。
また、同指針は、独占禁止法だけを対象にするものではなく、中小受託取引適正化法(取適法。旧下請法)やフリーランス法との関係も整理されています。実際の取引では、同じ行為が、独占禁止法上の優越的地位の濫用に当たるだけでなく、取適法上の不当な経済上の利益の提供要請、買いたたき、協議に応じない一方的な代金決定などとして問題となる場合があります。
2. 「成果物」と「データ・ノウハウ」
発注者が受注者に代金を支払っている場合でも、その代金によって取得できるものが何かは、契約内容によって決まります。
たとえば、部品の製造を委託した場合、発注者が取得するのは、通常は完成した部品です。ソフトウェア開発であれば、契約上定められたプログラムや成果物です。動画制作であれば、納品対象として定められた動画ファイルです。
これに対し、その成果物を作るために用いられた設計図面、加工データ、ソースコード、製造ノウハウ、検証データ、試作品、中間成果物まで当然に発注者へ移転するわけではありません。
知財取引指針は、中小企業等の取引上の立場の弱い事業者から、知的財産権・ノウハウ・データを無償または低廉な価格で吸い上げる行為が存在しており、こうした行為は企業の経営資源を損ない、イノベーションの芽を摘むことにもつながり得ると指摘しています。
したがって、発注企業が図面・加工データ・ノウハウ・中間成果物の提供を求める場合には、それが契約上の成果物に含まれているのか、別途の利用許諾や譲渡の対象なのかを明確にする必要があります。
受注企業側も、契約上の提供義務の有無や対価の設定の有無、利用範囲などの事項を確認しないままデータやノウハウを提供すると、発注者側で二次利用されたり、別案件に流用されたり、取引終了後も利用され続けたりするリスクがあります。
3. データ・ノウハウの無償提供を求められた場合の注意点
知財取引指針は、取引の本来の目的に照らして合理的に必要な範囲を超えて、相手方のノウハウ等の提供を求めないことを基本的な考え方として示しています。
この点は、製造委託、開発委託、共同開発、ソフトウェア開発、試作品製造、データ分析、PoCなどで特に問題になります。
たとえば、製品の納入を依頼しているだけであるにもかかわらず、その製造方法、設計図面、加工データ、製造ノウハウまで提出するよう求める場合があります。また、システム開発やデータ分析の場面では、納品物とは別に、ソースコード、学習データ、分析過程のデータ、検証結果、中間成果物などの提供を求められることもあります。
しかし、成果物の納入代金を支払っていることと、その成果物を生み出すためのデータやノウハウまで取得できることは同じではありません。
発注企業がこれらの提供を求めるのであれば、少なくとも、提供を求める情報の範囲、利用目的、利用期間、第三者提供の有無、対価、契約終了後の取扱いを明確にする必要があります。
受注企業が取引継続への不安から、十分な協議も対価もないまま受け入れざるを得ないような場合には、優越的地位の濫用等の観点から問題となるおそれがあります。
4. 成果物の対価と知的財産権等の対価との区別
知財取引指針は、成果物の対価と、それに関連する知的財産権等の対価を区別することの重要性を示しています。
たとえば、金型、ソフトウェア、設計データ、動画、キャラクター、試作品、分析データなどの取引では、「成果物そのものを納める対価」と、「そこから派生する著作権・設計図面・加工データ・ノウハウ・ライセンスの対価」が混ざり合いやすくなります。
発注者は「関連する権利の譲渡も含めた金額を提示したつもり」であっても、受注者にはその認識がない場合があります。
特に、データやノウハウの提供を求める場合には、「成果物の代金に含まれている」と一方的に処理しないことが重要です。発注者が、設計データ、加工データ、ソースコード、分析データ、中間成果物、著作権、特許を受ける権利などの移転や利用を求めるのであれば、それぞれについて対価の有無と金額を検討する必要があります。
受注者側も、見積書や契約書において、成果物の納入対価と、データ・ノウハウ・知的財産権等の利用・譲渡対価を区別しておくことが重要です。
5. NDAと秘密情報管理
データやノウハウの提供を求める場面では、秘密情報の管理も重要です。
取引開始前の商談、見積り、工場見学、技術検証、共同開発の検討などの場面では、相手方に自社の技術情報やノウハウを見せることがあります。この段階でNDAを締結せずに情報を開示すると、後にその情報の利用範囲や秘密保持義務をめぐって争いになるおそれがあります。
知財取引指針は、取引開始前であっても、秘密情報が含まれる場合にはNDAの締結を求めることは当然であるという考え方を示しています。また、双方から情報の開示が想定されるにもかかわらず、一方にだけ秘密保持義務を課すような片務的なNDAには注意が必要です。
契約書ひな形でも、秘密情報の定義、目的、秘密保持義務、第三者開示、目的外使用禁止、返還・廃棄などが条項例として整理されています。
6. 共同開発・PoC・中間成果物の注意点
知財取引指針では、著作権の無償譲渡、著作者人格権の不行使条項、中間成果物等の譲渡要請、無償の技術指導、技術検証、PoC、試作品製造なども、問題となり得る行為類型として整理されています。
たとえば、受注者が創作した著作物について、正当な理由なく、かつ対価を支払わずに、著作権を発注者に帰属させる契約を締結させる場合があります。このような要請が取引上の立場を背景に行われ、受注者が取引への影響を懸念して受け入れざるを得ない場合には、優越的地位の濫用として問題となるおそれがあります。
また、完成品とは別に、その制作過程で作成した絵コンテ、設計資料、試作品、分析結果、プログラム、検証データなどの中間成果物を求められることもあります。
関係する取引の契約時には、完成品だけでなく、その過程で生じた資料・データ・ノウハウを誰が利用できるのかを、あらかじめ明確にしておく必要があります。
7. 共同研究開発では成果の帰属と利用範囲を決めておく
共同研究開発では、発注者・受注者双方が技術やアイデアを出し合う場合もあれば、実際には一方当事者だけが主要な技術やノウハウを提供している場合もあります。
成果の帰属を決める際には、形式的に「共同開発」と名付けられているかどうかではなく、どちらがどの技術・アイデア・資金・設備・人員を提供したのかを踏まえて検討する必要があります。
契約書ひな形でも、開発委託契約における固有知的財産権等の確認、秘密保持義務、成果の帰属などが整理されています。
8. 契約書ひな形は「ただ取り」を防ぐための出発点
今回公表された契約書ひな形は、実務上の出発点として有用です。
もっとも、ひな形をそのまま利用すれば足りるわけではありません。どの情報を開示するのか、どの範囲で利用できるのか、対価を支払うのか、第三者提供を認めるのか、契約終了後に返還・廃棄するのかは、取引ごとに異なります。
契約書ひな形を利用する場合でも、自社の取引実態に合わせて、次の点を個別に検討する必要があります。
- 発注者・受注者のどちらが技術を提供するのか
- 既存技術と新規成果をどう分けるのか
- 成果物の種類は何か
- データや中間成果物を誰が利用するのか
- 対価は一括払いか、ライセンス料か、売上連動か
- 著作権・特許を受ける権利を移転するのか、利用許諾にとどめるのか
- グループ会社・第三者による利用を認めるのか
- 競合他社での利用を制限するのか
- 紛争が起きたときの責任分担をどうするのか
ひな形は、データやノウハウの無償提供を当然視しないための出発点として有用ですが、自社の取引実態に合わせて修正しなければ、かえって認識のずれや紛争の原因となる可能性があります。
9. 振興基準改正との関係
同日(2026年6月24日)、経済産業省は、受託中小企業振興法(旧・下請中小企業振興法)に基づく振興基準も改正しています。
振興基準は、委託事業者および中小受託事業者がよるべき一般的な基準です。今回の改正では、知財取引指針に基づいて知的財産権等に係る取引を行うこと、同指針で問題となり得る事例として掲げられている行為を行わないこと、知財に係る多様な対価設定方法を参照することが追記されています。
この改正は、特に発注企業にとっては、受注企業に対して図面、加工データ、ノウハウ、著作権、共同開発成果などの提供を求める際に、取引条件や対価設定を見直すべき根拠となります。
まとめ
知財・ノウハウ・データは、会社の競争力を支える重要な資産です。
今回公表された知財取引指針と契約書ひな形は、取引先から図面・加工データ・ノウハウ・中間成果物などの提供を求められた場合に、発注する側・受注する側の双方が何を確認すべきかを整理する重要な手がかりになります。
発注企業は、成果物の納入代金を支払っているからといって、当然に設計図面、加工データ、ノウハウ、著作権、共同開発成果まで取得できるわけではないことを前提に、提供を求める情報の範囲、利用目的、利用期間、第三者提供の有無、対価を明確にする必要があります。
受注企業は、自社の技術・ノウハウ・データを整理し、NDA、成果物の範囲、知的財産権等の帰属、対価、利用範囲を契約上明確にしておくことが重要です。
「取引先から図面やデータの提供を求められているが、応じてよいものか」「成果物の代金にデータやノウハウまで含まれるのか」「共同開発の成果をどのように分けるべきか」といった場面では、早い段階で契約内容を確認することが、後日の紛争防止につながります。
NDA、共同開発契約、開発委託契約、製造委託契約、知的財産権等の帰属・利用範囲・対価設定に関する契約書の作成・レビュー、技術情報・ノウハウ・データの取引条件に関してお悩みの場合は、お気軽にご相談ください。
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著者情報

弁護士:藤井 健一
築地かなめ法律事務所 代表弁護士。
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